2015年7月25日土曜日

恋愛は訳せない 『軽蔑』

『軽蔑』(1963年/ジャン=リュック・ゴダール監督)
【あらすじ】
あなたを軽蔑するわ!……って、なんで?!

「君もチネチッタに行くかい?」
「ええ……でもその前に、わたしのくるぶし好き?」
「ああ」
「膝は?」
「好きだよ」
「太ももは?」
「もちろん」
「お尻は?オッパイは?乳首とオッパイならどっちが好き?」
「……」

作家のポール(ミシェル・ピッコリ)は妻で女優のカミーユ(ブリジット・バルドー)を伴い、アメリカ人プロデューサー、ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)との契約にローマへと向かいます。
金と女にしか興味のない俗物プロコシュはいけ好かない野郎でしたが、皮肉にも金と女(=妻)のため、ポールはすでに撮影に入っている映画のシナリオ直しを引き受けるのでした……

アルベルト・モラヴィアの長編小説を映画化したゴダール最大の大作です。
とは言え、そこはゴダール。
中身はチマチマとした心理ドラマで、ビッグバジェット感は皆無です。
製作のジョゼフ・F・レヴィンは試写を見て、バルドーの裸のために金を出したのに!と怒り出しまして、ゴダールにもっと裸を見せろと命じたそうな。(プロコシュのモデルがレヴィンであることは明らかです)
それで冒頭のベッドでイチャつくふたりのシーンが付け加えられることになったのですが、バルドーを呼び戻すことは不可能で、やむを得ずゴダールはボディダブル(ソックリさんによる吹替え)を使い、赤や青のフィルターをかけて誤魔化したんですね。
しかし、イタリアではフィルターなしのものがそのまま公開され、激怒したゴダールは自分の名前をクレジットから外すよう要求したと言います。
ちなみに、これは個人的な趣味かも知れませんけれど、ボディダブルの方が本物よりもスタイルいいと思います(笑)


さて、私はあるときまで、本作を女性の面倒さを描いた映画だと解釈していました。
それには、ゴダールがアンナ・カリーナと難しい局面を迎えていたということもあります。
あるときとはいつか?
それは山田宏一さんの『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』を読んだときです。
本の中で、撮影中ゴダールがバルドーの歩き方にダメを出し続けたというエピソードが出て来ます。
どこが悪いのかバルドーが訊ねると、ゴダールはこう答えました。
「君の歩き方がアンナ・カリーナに似ていないからだよ」
「……」
男性の私がフォロー出来ない、オトコの何たるかがその台詞には宿っているとは思いませぬか。
端的に言うと、バカ。
バルドーが呆れ返ったのは言うまでもありません。

プロコシュには愛人と思しき美人通訳(ジョルジア・モル)がいます。
彼が英語しか話せないからですが、通訳のお陰で会話は通じ、結果はどうあれ交渉は進むのです。
が、ポールとカーミラという男女の間には、言葉の意味を訳してくれる者がいません。
当たり前なんですけれど。
『軽蔑』が描いているのは、きっとそのことなのでしょう。

というワケで、オンナ語通訳者、急募!

余計なお世話だバカヤロウな追伸
ゴダールが敬愛するドイツの映画監督、フリッツ・ラングが本人役で出演しているのは有名なハナシ。ポールがシナリオ直しを依頼されるのも「ラングの新作が難解すぎてワカンネェー!」という理由からなんですよね(笑) ラングはプロコシュの横暴ぶりを、ナチス・ドイツの宣伝相ゲッペルスのようだと揶揄してぷんすか。ゴダールっぽい~。

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