2015年3月12日木曜日

こんな俺に恋をさせてくれて 『ダーク・シャドウ』

『ダーク・シャドウ』(2012年/ティム・バートン監督)
【あらすじ】
200年ぶりに蘇ったら、元カノがめちゃくちゃ怒ってました。

【「ティム・バートン映画」】

『ダーク・シャドウ』のポスター・ヴィジュアルを初めて拝見した際に、私の心はいささか喜びに満ち溢れており、これはもしかしたら、久々に「ティム・バートン映画」が観れるのではないかしら!と、期待に胸を膨らませておりました。

テメェ、バートンが監督なんだからそりゃそうだろうがバーロウ、なんて文句を垂らされる前に注釈しますけれど、ここで記した「ティム・バートン映画」とは、言い換えれば「ティム・バートンらしさが感じられるティム・バートン監督作品」という意味を持ちます。
例えばソレは、『ビートルジュース』における支離滅裂なブラック・ユーモアであったり、『バットマン・リターンズ』におけるマイノリティへの悲哀に満ちた愛情であったり…と言うか、アレです、『アリス・イン・ワンダーランド』以外の作品のことなんです(ああ、言ってしまった)。

ゼロ年代のティム・バートンは、『ビッグ・フィッシュ』と『チャーリーとチョコレート工場』を通して「父親との和解」を描いてきました。
バートンにとって「父親との和解」は、幼少期のトラウマからの脱却として、いつかは乗り越えなくてはならない題材でした。
彼のフィルモグラフィを熟知している追っかけからすれば、そのテーマと対峙し、見事に成功してみせたこの試みに、我々は賞賛の拍手を送らなくてはなりません。
勿論、バートン・アディクトな私は両作品とも楽しく鑑賞出来ましたけれど、心は決して満腹感を得てはおらず、俺の見たいバートン映画はコレじゃないんすよと、どこか消化不良な感情も隠し切れず。

だからこそ、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』でのバートン節の復活には切実に感嘆したのを覚えています。
コチラも、ジョニデが白塗り顔面蒼白メイクで喉を掻っ切りまくる大傑作でして、今ここで、バートン×白塗りに間違いなし!と暴論を提示しようと思ったのですが、個人的に『アリス・イン・ワンダーランド』はその定義に当てはまらないと思考が導き出したので、この暴論は星の彼方へと葬り去ります。

【ドイツ表現主義的吸血鬼、バーナバス・コリンズ】

さて、要らぬ前口上を羅列してしまいましたけれど、結論、『ダーク・シャドウ』は紛れも無い「ティム・バートン映画」の傑作と言えます。
と言うか、私はこの映画が愛おしくて、愛しさと切なさと心強さに胸が引きちぎられそうなのです。

ポスターで顔面白塗りのキャスト陣が、劇中においてもちゃんと顔色が悪いこと、そして顔面蒼白な人しか登場しない(顔色の良い人は大体殺される)という、それだけで大いに素晴らしい映画でもあります。
いえ、小生、顔色が悪いフェチではありませんで、『カリガリ博士』だとか『吸血鬼ノスフェラトゥ』だとか、20世紀初頭のドイツ表現主義の匂いがプンプンしておるのが素晴らしいと賞賛している訳なのです。

中でも、200年ぶりに蘇ったら元カノにボコボコにされる吸血鬼バーナバス・コリンズを演じたジョニー・デップの演技が、まさにドイツ表現主義のソレでして、特殊メイクで6センチ伸びた長い指で催眠術を施す姿が実に華麗です。(ちなみに、この長い指はバートンのオリジナルアイデアで、撮影前のジョニデは「指なんて伸ばしたら色々と不便だからぜってーイヤ!」と反対していたそうです)
あと、棺から起き上がってあくびをした吸血鬼は恐らくバーナバスが映画史上初なので、これも可愛い発明です。

再度、私の勝手な暴論の一つだとご容赦願いたいのですが、どうやら私は、ジョニー・デップという俳優が好きでも無ければ、嫌いでも無いという感情を抱いておりまして。
カッコ書きするならば、ティム・バートン作品のジョニデは好きなんですけれど(笑)、他の出演作品は何と言いますか、支離滅裂に暴れ過ぎていると思っています。

加えて、彼をコントロール出来ている演出家はバートンくらいなのではないかとも感じています。
実際、『ダーク・シャドウ』におけるジョニデは、良い意味でおとなしく、正しく演出を受けている落ち着きが感じられます。
ここで述べている「落ち着き」というのは、例えば「いない、いない、ばあ!」とか「アッチョンブリケ!」的なスラップスティックな芝居プランでは無く、彼の言動や細かな動作、そして最も効果的に映される表情から派生する魅力を、演出家やキャメラマンを信頼して託している、という様子のことを意味します。

ひとえに、20年来の付き合いとなるバートンとジョニデのコンビの絆が成せる業かと思われますが、バーナバス・コリンズという(オリジナルがあれど)新たなるキャラクターを生み出した業績は大いに讃えたいと思います。
みんな、ハロウィンはバーナバスのコスプレをするといいと思いますよ!しないけど!

【エヴァ・グリーン主演のリベンジ・ムービー】

もはや、『ダーク・シャドウ』のナニモカモが愛おしくて仕方ないのですが、やはり特筆すべきは、魔女アンジェリークを演じたエヴァ・グリーンの熱演でしょう。

ちょち唐突ですが、私は爬虫類顔の女性があまり好みではありません。
何と言いますか、ヘビ顔って言うんでしょうか。だからエヴァ・グリーンって、特に好きな女優では無かったんです。オッパイでかいなーという印象ぐらいで(幼稚)。
ところが、『ダーク・シャドウ』を鑑賞してからは、んもう大好きになりましたよ。ファンです、ファン。兎にも角にも、エヴァ・グリーンがすんばらしい!エヴァ・グリーン最高傑作!という狂喜乱舞ぶりをお許しください。(余談ですが、『300 帝国の進撃』のバトル・セックスも最高で最高で最高過ぎたので、本気でエヴァ嬢は、テン年代映画ボンクラたちの女神になっていると思います)

言ってしまえば、私は『ダーク・シャドウ』が、バートンが悪意を込めて描き上げる、魔女アンジェリーク主演のドス黒逆恨みリベンジムービーだと思っています。
劇場で2回鑑賞してから、Blu-rayで既に7回は再見しているのですが(笑)、観るたびに、これはアンジェリークによるアンジェリークのためのアンジェリークの映画じゃないか!と、リンカーン大統領よろしく、完全に自己暗示に掛かっている状態なのです。
『ダークナイト』の主演がジョーカーであるのと同じ現象です。(※『ダークナイト』の主演はもちろんバットマ…いや、ジョーカーです!)

エヴァ・グリーンという女優は、こんなにも喜怒哀楽の表現が素晴らしい役者だったのかと感動しました。ニタリとした愛想笑いから、瞬時に冷徹な表情にシフト・チェンジが出来たり、バーナバスを見つめる失恋を覚悟したかのような悲哀の目つきが実に切ないです。

やはり印象的なのは彼女のラスト・カット。
あんな顔されちゃあ、ねえ…と男なら誰しも妥協を許すところを、本作のバートンはキッパリと言い切ります。
「ぜってー許さねえ!!!」
ひえー!ウソでしょ、これ本当にティム・バートンの映画かよ!
ただし、そこで提示される残酷なまでの回答こそ、バートンが完全に「大人」になってしまっていることを示唆しており、ファンにとっては嬉しい悲鳴なのも確かです。
『ダーク・シャドウ』は「愛されない者の愛」を絶望的に押し付ける、「大人」になったバートンからの、素晴らしく愛おしい仕返しなのです。

そう、もうここには、自分を愛してくれない世界への復讐をしていた『バットマン・リターンズ』のペンギン=ティム・バートンはいません。
冒頭に前述した『ビッグ・フィッシュ』、『チャーリーとチョコレート工場』を経て成長した彼が、『ダーク・シャドウ』で「家族」という題材を描くのは宿命的な行為だったと思います。
しかし、本作は何よりも、「父親」だとか「家族」だとかを否定していた、かつての自分自身への愛憎入り混じった仕返しなのではないでしょうか。
もしかすると、愛を求め、愛を憎み、愛されることのなかったアンジェリークは、バートン自身のことだったのかもしれません。

【ティム・バートンとリサ・マリー】


ところで、本作にはもう一つの見方があると思っています。

実は『ダーク・シャドウ』のアンジェリークは、明らかにリサ・マリーを彷彿とさせる風貌なのです。
アンジェリーク初見時は「何か誰かに似ている気がする…」とモヤモヤしていたのですが、中盤の舞踏会のシーン(T-REXが流れた直後にアリス・クーパー登場、というやるせないステージ)で、アンジェリークがコリンズ家に現れた際、全身に電撃がビビッと走りました。
彼女が身を包んだ真っ赤なドレスデザイン、やたらと強調される巨大な乳房からして、『マーズ・アタック!』の女火星人、リサ・マリーを思い出さずにはいられなかったのです。
リサ・マリー、何を隠そう、バートンの元恋人であります。
脳味噌スッカラカンな私、ようやく、そこで全てが繋がりました。
そうか、これはリサ・マリーへのリベンジムービーだったのか!

付き合っていた頃のティム・バートンとリサ・マリー。
見よ、これが童貞クンと巨乳のツーショット!
バートンくんはこの頃、「俺、ちょっとイケてるんちゃう?」と勘違いしていた。
ともすると、バートンが自身のフィルモグラフィ上で初めてセックス・シーンを描いたのも、彼女との情事に関する露悪的な描写なのか、はたまたセックスは最高だったけど結果的には最悪でしたという自虐ネタなのか、どちらにせよ、『ダーク・シャドウ』のアンジェリークは「リサ・マリー」として解釈してみても非常に面白く鑑賞出来ること間違いなしです。

自身の人生や生活が影響を及ぼすプロットは、バートンならではの作風だと感じますが、本作におけるその最たるシーンこそ、上記したバーナバスとアンジェリークのセックス・シーンです。
いや、正確にはモロ見せなセックスでは無いので「ラブシーン」と呼称した方が適正かもしれません。
ともかく、バートンのフィルモグラフィ上で、恐らく初めて描かれたセックスだったのではないでしょうか。

俺もこれぐらいのことはしとるわボケー!と露呈してるのかもしれませんが、何でしょう、なんで童貞コンプレックスって、いくつになってもセックスを自慢したがるのでしょうか(笑)
私としては、まさかティム・バートンにセックス自慢されるとは予想外でしたので大変楽しめたのですが、あのシークエンスはよく考えると切ないですよね。
結局は肉体にだけ欲情しているという意味合いなワケで、エヴァ・グリーンが胸の谷間を見せつけて誘惑したように、リサ・マリーのおっぱいからも逃げられなかったのかなあ…と無粋な思考が働いてしまいました。

これは私の偏見ですから、どうぞ視界に突入した文字列をすぐ様に排除してもらいたいのですが(じゃあ書くなよ)、私、ティム・バートンとリサ・マリーのセックスが想像できないんですよ(笑)
いや、「(笑)」を添付しましたけれど、割と本気なんです。
同様に、ヘレナ・ボナム=カーターとティム・バートンに関しても、全く。そんなこと考えるなって言われたらハイ、ソレマデヨなのですが、私には無理です。
本当に、全裸でまぐわう二人が想像できません。
それほどに、私にとってティム・バートンという映画作家は、セックスから離れている存在なんです。

故に、セックスから離れているからこそ、グラマラスな巨乳モデルであるリサ・マリーに惹かれてしまったとも思います。
二人の出逢いは91年のクラブだったらしいですから、どうせバートンが「俺、ゴジラが大好きでさ~でもこんな怪獣オタク、誰も好きになってくれないからさ~」なんて酔い潰れてつぶやいたら、おっぱいを巧みに揺らしながら「ウチもゴジラ超好きー!ウチはキングギドラがめっちゃ好きー!ってかティムも好きー!」とリサたんに言われてノックダウンしてしまったのでしょう。(※筆者の完全な妄想です)
ルックス、性格、話し方、趣味嗜好など、まさにTHE童貞なパーソナリティを持ったバートンが、巨乳でちょちサブカルチャーな美人モデルにイチコロされちゃうのは分からなくもありません。(情けない文章)

その後、リサ・マリーはバートン作品のミューズ(とは言っても脇役)として次々と彼の作品に出演しますが、約10年間の交際を経て破局となります。
実際、破局後にリサ・マリーはバートンに対して、今後の人生を金銭的にサポート出来るだけの多額な補償金を請求しています。
恐らくこの経験が、バートンにとってはかなりイタイ出来事だったのでしょう。

そして、そんな彼女へバートンからのリベンジが、あのアンジェリークに放ったバーナバスの言葉です。
「お前は誰からも愛されないし、誰かを愛することも出来ないから!!!」
バートンが自身の作品で、愛されない者を真正面から全否定してみせたの初めてかと思われます。
それでも、バートンが完全にアンジェリーク=リサ・マリーに憎悪を抱いているのではない証拠が、「心臓」のシーンです。
いくら大人へと成長したとは言えど、やはり愛されない者への優しい視線は忘れていないのがティム・バートンです。
結局、受け取らないという残酷さ。いや、受け取らなかったことが優しさなのか。
実にオトナな余韻を残す、ティム・バートンらしい名シーンだと感じました。

『ダーク・シャドウ』はリサ・マリーへのリベンジ・ムービーでもあり、同時に、そんな彼女に対して「それでも、ただの映画オタクだった、ただの童貞だった、こんなヘンテコな俺に恋をさせてくれてありがとう」とお礼を言っているような映画だと思っています。

【ティム・バートンとヘレナ・ボナム=カーター】

さて、『ダーク・シャドウ』を今語ることの意味は、ティム・バートンとヘレナ・ボナム=カーターが破局した時代だからこそ存在しているのだと信じております。
2014年初めには既に破局状態にあったこのカップルは、約13年の関係に終止符を打つことになりました。
今現在、ヘレナとタッグを組んだ監督作品は本作が最後となっています。

2012年当時、『ダーク・シャドウ』を劇場で鑑賞した私は、最愛の今カノの顔で幕を引くこの傑作に心酔してしまい、完全に童貞クンから卒業したオトナなバートンからのサプライズに歓喜したのをよく覚えています。
今となっては、その今カノも「元カノ」と化してしまい、この作品がバートンにとってより悲哀に満ちたフィルムになっていることは間違いありません。

しっかし、女が怖いのは、そういうことを言っても一ミリも振り向かず、むしろリサ・マリーの方がバートンへ「るせぇ!ヘレナとなんか別れちまえ!」と、まるで呪いでもかけたかのように怨念が伝わって、そしてそれが現実と化してしまったことでしょう。

そして今、この映画を観て新たに思うことは、あのラストカットの恐ろしさ。
目をカッ開いてキャメラを凝視するその表情は、まるでこんなことを訴えていたのかもしれません。
「あんた、アタシを何回殺したら気が済むワケ? 許すまじ!!!」

かつて恋人だったナンシー・アレンを映画内でぶっ殺しまくっていたブライアン・デ・パルマにこの映画を捧げます。


追伸1
リサ・マリーの最近の出演作が、ロブ・ゾンビの魔女狩りムービー『ロード・オブ・セイラム』というのも、魔女つながりとして何か意味深です。やっぱり魔女なんじゃないの、リサたん!

追伸2
と言うか、『アリス・イン・ワンダーランド』のアン・ハサウェイですらリサ・マリーかよ!って思いましたからね。顔の系統も同じだし、巨乳だし…と言うか、バートンどんだけ乳好きなんすか!

追伸3
絶対アリス・クーパーいらなかった!(ああ、言ってしまった・笑)


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【Twitter ID : @Griko_Hasuichi

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